読書逍遥

読書逍遥第301回『ニューヨーク散歩』(その2) 司馬遼太郎著

冨田鋼一郎

『ニューヨーク散歩』(その2) 司馬遼太郎著

ときの人、カマラ・ハリス氏ではない
幕末の米外交官、タウンゼント・ハリス(1804-1878)のこと

☆☆☆

タウンゼント・ハリスが日本にやってきたのは、ペリーが日米和親条約を結んだ翌々年の安政3年(1856)である。

来日した目的は、ペリーが結んだ和親条約を改定して、通商条約に仕立て直すことであった。

幕府はこれに対し、消極策をとった。大統領の書簡を持つハリスに対し、江戸に入れようとせず、下田に留めておこうとした。いわば無目的の時間稼ぎだった。

下田は、伊豆半島の南端にあって、相模湾にのぞむ海港である。ここは日本史に意味をもったのは、先の和親条約によって、名ばかりの開港になったためである。ハリスに対し、玉泉寺という寺を総領事館に提供した。

ハリスにとって、この狭い下田のまちの人々が、日本人の見本になった。山は山頂まで耕され、人々はよく働いていた。

庶民の住居は清潔で、「世界のいかなる地の労働者でも、下田の貧しい人々ほどよい暮らしをしている例はないだろう」と書き、いわば日本人一般に対し、強い好意を持った。

安政5年(1858)、日米修好通商条約の調印を見た。

当時の日本は西洋風の法体系を持たなかったため、ハリスの主張する治外法権を認めざるを得なかった。しかしハリスは、他の条項については特に日本側が不利という内容を作らなかった。ハリスの好意をしだいに日本側は理解するようになった。

ハリスの墓は、ブルックリンの共同墓地にある。墓碑銘には、「彼が結んだ条約はアメリカ国民だけでなく、日本国民にも満足を与えた」とあり、また「日本国民の権利を尊重したので、彼らから”日本の友”という称号を得た」とある。

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冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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