読書逍遥第156回 『そして文明は歩む』1980 森本哲郎著
冨田鋼一郎
有秋小春
[文明としての中国]
巨大な中国文明をまとめる素材 「漢字」
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中国は、各省ごとの文化を考える時、ヨーロッパに似ている。
紀元前の戦国以来、各省は時に政治的に独立し、常には文化的に独立の色が濃い。しかしながら一面においてつねに普遍を求めている。
秦の始皇帝が大統一を可能にして以来、文明という普遍性を生み出すようになった(例えばその普遍性のひとつが古くは儒教であった)。
また漢字、漢文が用いられる限り、中国は人種や各省文化を超えて一つであるという大きな分母が、ゆるぎなくある。
アメリカの黒人が金属楽器を持った時に作り出したジャズが、アメリカという多様な文化の複合社会において普遍性のテストを経ると、そのまま世界に通用し、ひろまった。ジーパンのかっこよさまでがアメリカという文化的複合社会で濾過され、洗練されると、世界に通用してしまうようなものである。
歴史的存在としての中国には、そういう普遍化への作用がある。この意味では、中国アメリカに似ている。
初対面の中国人同士は必ず相手の出身省を聞く。
「浙江」と答えれば、相手は水辺の景色の美しさを讃え、
「江蘇」と言えば、庶民文化の豊かさを褒め、
「湖南」と言えば、革命家を多く輩出したことを話題にしたりする。
「雲南・昆明」といえば、ちょっと気分が違う。雲南省は何といっても歴史が新しいのである。漢族の大規模定住が14世紀末で、他の省にくらべると、漢族文化の堆積が薄い。