読書逍遥第211回 『韓(から)のくに紀行』街道をゆく2 (その2) 司馬遼太郎
冨田鋼一郎
有秋小春
[紙の発明以前に木簡・竹簡時代があったことの意義]
☆☆☆
漢のはじまりは、高祖劉邦が咸陽に入った紀元前206年に発し、王朝の寿命は後漢を加えると、430年ばかりつづく。
前漢・後漢の時代こそ、最初の栄光の時代であったろう。
当時、この文明圏の表門は西方にあり、シルクロードを通じて、新奇な文物や思想が入った。生産はあがり、商工業が興り、人々の好奇心もさかんで、諸種の工芸がむらがりおこった。
それだけでなく『史記』という中国とその周辺世界についての通史が成立し、さらには紙が発明されて、その後の中国の政治・文化に計りしれぬ益を与えた。
中国文明の特色の1つは、言語の文章表現が殷代という早い時期に始まり、紙以前の木簡・竹簡時代において完成しきったことである。
木簡・竹簡時代は、うかつに冗漫に書けば、荷車にでも積んで牛に曳かせねばならなくなってしまう。
漢文が極端に簡潔であるのは、木簡・竹簡時代に文章語として完成しまったために、高度の内容を表現できる口語の発達がはばまれたのではないかとも思える。
さらには、方言が無数の地方において独立性を持っていたにもかかわらず、その障害がないにひとしいほどにコミュニケーションが古代から縦横に行われていたのは、文章語の成熟と共通性に理由が求められる。
さらにいっそうのことを縦横にしたのは、他文明より時期的にはるかに普及もしていた紙にあったに違いない。
後漢の蔡倫が紙を発明して和帝に献上したのは紀元105年である。
『史記』150巻の草稿が完成したのといわれるのは、紀元前91年だからむろん木簡によった。
『三国志』は、すでに紙をふんだんに使うことができたに違いない。