読書逍遥

読書逍遥第285回『長江・夢紀行』(その5) さだまさし中国写真集 1983年発行

冨田鋼一郎

『長江・夢紀行』(その5) さだまさし中国写真集 1983年発行

[主張する権利、妥協する責任]

無風状態のままで、いかにうまく生きるか、いかにその無風状態を長く持続させるか、そんなことにのみ、日本人の我々は幼い頃から気を使いすぎてきたような気がします。
だから一種のなれ合い、ナァナァのもたれ合い、といった部分が必ず出てくるのです。

それは仕事の面でもはっきりしていて、例えば、我々は駆け引きをします。もちろん中国人だって欧米人だって駆け引きをしますが、その仕方が問題なのです。

我々はかなり陰湿です。妥協する時でも、口の中でぶつぶつ言いながら妥協します。つまり妥協したときに、自分は我慢しているのだぞ、ということをポーズで示し、それを暗に相手に押し付けるわけです。はっきり口に出さずに、押し付けるのです。

その裏には、今回、俺はこれぐらい我慢してやったのだから、この次には、お前はこのぐらいのことを俺に返してくれるんだろうな、とそれを相手に印象づけようとする計算が必ずあるようなのです。

そのことについて反省させられたことがありました。

ある街で撮影するときに、我々は是が非でも、その街のあるとこを撮りたいと思い、その旨を中国側スタッフに伝えました。ここで、中国側と大きく意見が分かれてしまったのです。

「そういうものを撮影する必要は無いんじゃないか。私たちとしてはそれは認めがたい」
「いや、それを記録する事は、重大な価値がある。どうしても取らせて欲しい」

そして、2日も3日もやりやった結果、やっと彼らが折れてくれたのです。
「わかりました。私たちは反対ですが、あなた方がそうまで言うのなら妥協しましょう」

はっきり彼らは、妥協と言う。やっと妥協してくれたのだ。我々は安心する。
しかし、問題はこれからでした。

撮影隊は無事撮影を終え、次の街へ移動しました。そこで我々は、遠慮をしてしまうのです。

前の街であれだけ我々は無理を言い、相手は妥協してくれた。だから、今度は我々が妥協する番ではないか。この街では少し遠慮するべきだ、というわけです。そうすると今度は彼らが怒ります。

「あなた方は、前の街であんなに突っ張ったではないか。この街で突っ張らないのはどういうわけか。同じことなのに、前は突っ張り、今度は突っ張らない。良い映画を作ろうというから、私たちは協力してきた。しかしそんな姿勢では、映画の作り方そのものに問題があるのではないか」

まさにその通りです。「じゃあ遠慮なく」我々はそう言って、ズケズケとその街のあらゆる場所に入り込み、撮りまくりました。

彼らは恩に着せるふうはさらさらなく、極めて淡々と、妥協したのは自分たちの責任、突っ張ったのは、向こうの権利、そういう形で何事も処理してくれるのです。

こういった部分は、日本人にはないところで、我々はとても感謝するとともに、大きな感動を味わったのです。

[パンパスグラス]
スポンサーリンク

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
記事URLをコピーしました