読書逍遥

読書逍遥第273回読書逍遥『中国・江南のみち』(その3) 司馬遼太郎著

冨田鋼一郎

『中国・江南のみち』(その3) 司馬遼太郎著

「百済(くだら)」について

日本への影響という点で、「百済」の果たした役割は無視できない。日本の精神文化の源は、「百済」を介して「江南(長江の南)」から来たといってもいいからだ。

日本において、漢字の読み方がいまだに「呉音」と「漢音」が混在している原因も「百済」「江南」にある。

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百済(ひゃくさい)というのは、3世紀から7世紀までわずか300年存続した国ながら、古代日本にとって″文明の種まき機″のような役割を果たし、滅亡のときは日本がその大量の遺民を受け入れた。

百済を日本で”くだら”というのは、「クン・ナラ」(大いなる国)という朝鮮語から来ているといわれる。

百済人が倭人にそういったのか、倭人が百済の文化の高さを仰慕してそういったのか、いずれにせよ、この言葉が日本語に定着したこと自体が面白い。百済の「大いなる」は、その源泉がある。六朝文化である。

黄海に海岸線を持つ百済は、船を浮かべれば、中国の山東半島にたどりつくことが容易であった。

百済という国の不思議さは、華北を占拠している非漢民族の諸勢力に親しまず、長江の南まで後退した漢民族の六朝に接し続けたことである。漢文明への憧れが固有に強かったためと思える。

六朝文化の本質は、秦・漢以後の中国では例外的なほどに貴族文化であることだった。遊惰の風を持ち、漢民族には珍しく政治をもって至上価値とする精神が乏しかった。

むしろ政治を野暮とし、「風流」を重んじた。風流という語と思想と態度が、やがて百済経由で日本に定着する。

風流至上、政治は野暮という六朝の気分はのちのち平安朝の文化を染め上げ、今日なお日本人の政治観に投影しているのではないか。

○風流の初や奥の田植え唄 芭蕉

[マンデビラ]
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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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