読書逍遥第272回読書逍遥『中国・江南のみち』(その2) 司馬遼太郎著
読書逍遥第272回読書逍遥『中国・江南のみち』(その2) 司馬遼太郎著
しばらく奥羽の旅を続けてきた
『おくのほそ道』松島に「浙江の潮(うしお)」という言葉がある
「松嶋は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず。東南より海を入て、江の内三里、浙江の潮をたヽふ。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ詞を尽む」
いったい浙江省・江蘇省とはどんななのか
江南(長江の南)を訪ねてみることにしたい
蘇州、杭州、紹興、寧波(ニンポー)を巡る。四つの都市を並べて見るのも面白い
国として14億人を治める隣国「中国」の今を少しでもよく理解したい
[蘇州]
蘇州は紀元前春秋時代の呉国の首都である。
この古都は、城内に大小の運河を四通八達させている。長江の氾濫がつくり上げた平原の真っ只中にあるこの街としては、網のように運河を掘って水排けせねば、都市を成立させるだけの土地が造成できなかったのであろう。
城内の運河は、いずれも狭い。水に浸っている岸は、積み石で固められている。その切り石の中には、あるいはニ千年前のものも混じっているかもしれない。
民家は、運河のふちに密集している。どの民家も、白壁に暮らしの膏(あぶら)が染み付いていて、建てられて何百年も経ている家も多いだろうと思われた。
古びて陋屋になりはてた家ほど美しく、その美しさは、水寂びともいえるようなにおいがある。潮寂びのヴェネチアとは、そのあたりでも違がっている。
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「江南」について
江南という地が、中国文明にたっぷり浸るに至るのは、いわゆる六朝時代(3世紀から6世紀まで)になってからであろうかと思える。
すでに漢の滅亡ははるかに遠い歴史になっている。後漢も滅び、また曹操や諸葛孔明が活躍する三国時代も過ぎ、それにつぐ晋も滅亡してからのことである。3、4世紀のころ、中原を含めた華北の大地を揺るがすような事態が継続して起こった。民族大移動というべきものであった。
今も昔も、中国という農耕文明の大陸は、その周辺が草原によって縁どられている。
その草原地帯に住む様々な騎馬民族が、おそらく自然の変化によるものかと思えるが、ぞくぞくと長城を超えて華北農耕地帯に乱入してきたのである。ここに「五胡十六国」時代といわれる異民族国家時代が現出した。
漢民族も移動した。彼らは南へ後退し続け、ついに長江流域(楚や呉・越の故地)まで南下し、そこで短命な国家群を歴史的に展開した。六朝時代である。ここで初めて江南の地が、本格的に漢文明の地になったといっていい。
その頃までは、江南はフロンティアというべき地であった。この湿潤な地に大人口が住み、しきりに地を埋め立てて、また灌漑工事を進め、新たな水田が開かれ、南下した漢人の椀に常に飯が盛られるべくつとめられた。アメリカの開拓時代に比すべき時代だったかと思える。
日本の歴史は、新しい。その頃ようやく漢字がもたらされることになる。
草原の民(胡や夷)からいえば、中原から漢民族を追い出したことになるが、この移動と膨張の大運動は、朝鮮半島にまで波及した。
半島土着の高句麗族、韓族などが長らく中国の帝国から半支配されていた状況を打ち破り、にこごりが固まるようにして、村落国家が広域的に結束し、三つの民族国家がつくられた。
半島北方の高句麗国、同西方の百済国、同東方の新羅国がそれである。