読書逍遥第271回『中国・江南のみち』(その1) 司馬遼太郎著
読書逍遥第271回『中国・江南のみち』(その1) 司馬遼太郎著
ソビエト連邦が存在して、中国がまだ台頭していない時代の記述であるが、この冒頭の指摘は、大局的に中国を考える上で大事と思われる
古代中国は、「文明の巨大な灯台」!!
今の中国や漢族に対して、どのような態度で接していけばいいのか
中国が好きか、嫌いかという基準だけでは何か足りないように感じている
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古代中国というのは、文明の巨大な灯台であった。
東アジアの周辺の諸民族は、古代、大なり小なり、その光を光被し、それぞれ独自の文化をつくってきた。
その例として、朝鮮がある。あるいはベトナム、また日本がある。
文明と言うのは、普遍的であればこそその名に値いする。他によって使われなければ、文明と呼ばれるに値いしない。古代中国文明は、ぞんぶんに周辺の民族から使われた。
この文明を築き上げたのは、いうまでもなく「中国人」である。
「中国人」ということばは、近代以前にはなかった。
人民中国の成立後に普及した。「中国人」は国籍呼称であって、民族呼称ではない。そと点が、まことにいい。
人民中国成立の諸内容のなかで最も素晴らしいことは、自らを多民族国家とみとめ、その中の漢民族を単に「漢族」と呼び、原則的には単に諸族の一つにおいたことである。さらには圧倒的多数を占める漢族に対し、常にその優位性を誇ることを戒め続けてきた。
この姿勢は、ひとつにはソ連、ベトナムなどの国境線上に、少数民族が線の内外に居住するという国防上のきわどさからもきているかと思われるが、そのように冷ややかに見る必要はない。ともかくこの美的な態度は、十分に賞揚されていい。
多民族国家の大国は、他にもある。ソ連やアメリカなどがそうだが、この場合の歴史的内実は、中国に比べ、多少不幸である。なぜなら、そこにいる少数民族が、古い時代その文明の成立に参加することがなかったか、極めて少なかった。
中国の場合、五十余りの少数民族がいる。それらが今になって群がり出たのではなく、既に紀元前から存在し、古代文明の成立にそれぞれが役割を果たした。
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中国という地球上の地域は、普遍的文明を成立させる上で、まことに人類史上、稀有な条件をもっていた。その文明は、すくなくともマルコ・ポーロ(1257-1324)までは、ヨーロッパを圧倒していたといえる。
日本の場合、七世紀から十世紀にかけてその文明の破片を受けて、国家と文化をつくった。
十四、十五世紀にも、再度の影響をうけ、その破片を日本文化というるつぼに入れ、触媒として使うことで、室町期という独自の美学的時代をつくりあげた。
こんど、そういうことを念頭に置きながら、旅をした。
まず遣唐、遣明使船、さらには江戸期の日清貿易の上で関係の深かった江蘇省、浙江省を歩き、次いで四川省の広大な田園を過ぎ、さらにできれば稲作少数民族に出遭いたいと思いつつ雲南省の昆明まで入ってみた。