読書逍遥

読書逍遥第268回『嵯峨散歩、仙台・石巻』(その7) 司馬遼太郎著

冨田鋼一郎

読書逍遥第268回『嵯峨散歩、仙台・石巻』(その7) 司馬遼太郎著

仙台、多賀城址、塩竈、松島の位置関係がはっきりした。

[塩竈のこと]

塩釜は、多賀城遺跡の東北にあって、ごく近い。ゆくほどに海が近くなっていゆく。海とは、松島湾のことである。松島湾がその南西端においてさらに鋭く湾入している。それが塩釜湾(千賀ノ浦)である。

[製塩について]

奈良朝の頃、塩釜は製塩の地として四方に知られていた。
製塩地というのは、東西の古代史において、存在そのものが力を持っていた。例えば、中国史を見る場合、乱が起こると、英雄豪傑はいち早く岩塩の出る土地をおさえて支配力を増した、という見方がある。

古代ヨーロッパ史を、塩の交易史で捉えると面白いらしい。人類は「交易」というものを、塩の売買によってはじめた。アジアでもヨーロッパでも、塩の産地は交易のために人口が多かった。

日本はまわりが海である。といっても、塩汲みをして物を煮たきできるのは海岸に住む人たちだけで、内陸の人たちは塩を得なければどうにもならなかった。このため、古代から製塩は行われていた。

ただし塩田を用いた天日(てんぴ)製塩ではない。塩田方式は奈良朝・平安朝から始まっているものの、晴天の多い瀬戸内海沿岸のほかは、いくつも適地があったわけではない。多くは、海水を煮つめる方法をとっていた。

縄文以来、そうだった。土器に海水を入れて煮つめた。浦の者が出来上がった塩を山へ持ってゆき、山の者と山の物産を交換したのに違いない。

古代日本の製塩法で際立っていたのは、塩分を濃くさせるために海藻を用いたことであった。古代における塩釜の地でもこのやり方だった。この地は、文字による歴史以前は塩で栄えていたかのようである。

古歌に、しきりに「藻塩(もしお)焼く」ということばが出てくる。

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冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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