第93回『情動と理性のディープ・ヒストリー 意識の誕生と進化』ジョゼフ・ルドゥー著
冨田鋼一郎
有秋小春
[魯迅と藤野厳九郎先生のこと]
私は、正岡子規が好きなように、魯迅(1881-1936)が好きである。
魯迅が清末、他にも留学先があるのに、とくに日本をえらび、それが明治期の日本だったことも、よかった。かつ江戸期の篤実な人間の心がなお生きていた仙台であったことに、天の配剤だったような感じが私にはする。
魯迅が仙台にいたのは、明治37年(1904)から中退までの2年間に過ぎなかった。そこで魯迅が出会った藤野厳九郎先生は、篤実な教師であった。
魯迅著『藤野先生』より
「私の講義は筆記できますか」と彼は尋ねた。
「少しできます」
「持ってきて見せなさい」
私は、筆記したノートを差し出した。彼は受け取って、一、ニ日してから返してくれた。そして、今後毎週持ってきて見せるように、と言った。
持ち帰って開いてみたとき、私はびっくりした。そして同時に、ある種の不安と感激とに襲われた。私のノートははじめから終わりまで、全部朱筆で添削してあった。多くの抜けた箇所が書き加えてあるばかりでなく、文法の誤りまでいちいち訂正してあるのだ。
帰国した魯迅は、北京の寓居の机の前に藤野先生の写真を貼って、質朴な越前人の風貌の奥にあるなにごとかを感じつづけた。
魯迅は、他者の人格にひそんでいる光を感ずることのできる稀有の感光板をもっていた。以下、彼は『藤野先生』の中でいう。
夜ごと、仕事に倦んでなまけたくなるとき、仰いで灯火のなかに、彼の黒い、痩せた、今にも抑揚のひどい口調で語り出しそうな顔を眺めやると、たちまち私は良心を発し、かつ勇気を加えられる。