読書逍遥

読書逍遥第265回『嵯峨散歩、仙台・石巻』(その4) 司馬遼太郎著

冨田鋼一郎

『嵯峨散歩、仙台・石巻』(その4) 司馬遼太郎著

[魯迅と藤野厳九郎先生のこと]

私は、正岡子規が好きなように、魯迅(1881-1936)が好きである。

魯迅が清末、他にも留学先があるのに、とくに日本をえらび、それが明治期の日本だったことも、よかった。かつ江戸期の篤実な人間の心がなお生きていた仙台であったことに、天の配剤だったような感じが私にはする。

魯迅が仙台にいたのは、明治37年(1904)から中退までの2年間に過ぎなかった。そこで魯迅が出会った藤野厳九郎先生は、篤実な教師であった。

魯迅著『藤野先生』より

「私の講義は筆記できますか」と彼は尋ねた。
「少しできます」
「持ってきて見せなさい」

私は、筆記したノートを差し出した。彼は受け取って、一、ニ日してから返してくれた。そして、今後毎週持ってきて見せるように、と言った。

持ち帰って開いてみたとき、私はびっくりした。そして同時に、ある種の不安と感激とに襲われた。私のノートははじめから終わりまで、全部朱筆で添削してあった。多くの抜けた箇所が書き加えてあるばかりでなく、文法の誤りまでいちいち訂正してあるのだ。

帰国した魯迅は、北京の寓居の机の前に藤野先生の写真を貼って、質朴な越前人の風貌の奥にあるなにごとかを感じつづけた。

魯迅は、他者の人格にひそんでいる光を感ずることのできる稀有の感光板をもっていた。以下、彼は『藤野先生』の中でいう。

夜ごと、仕事に倦んでなまけたくなるとき、仰いで灯火のなかに、彼の黒い、痩せた、今にも抑揚のひどい口調で語り出しそうな顔を眺めやると、たちまち私は良心を発し、かつ勇気を加えられる。

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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