読書逍遥第269回『嵯峨散歩、仙台・石巻』(その8)
冨田鋼一郎
有秋小春
「貞山堀」のこと
伊達政宗(1567-1636)のころ、仙台米を水上輸送するために掘った運河である。当初は、内川とか、堀川、あるいは御船引掘などといわれた。政宗以後も掘り続けられ、これによって仙台平野の諸川がヨコ糸としてつながれ、南はこの阿武隈川河口荒浜付近から、北はとぎれつつも、北上川河口の石巻付近まで至っている。
「貞山」とは、政宗の死後の諡名である。貞山掘と言う呼称は江戸時からあったわけではなく、明治初年の土木家が、江戸期日本に似つかわしからぬこの大業に驚き、運河の名を貞山掘と名付けたときに始まる。政宗がどういう人物であったかを知るには、まず貞山堀を見なければならない。
ここは海水が少し混じるために灌漑用水には使えない。純粋に運搬用運河として、これほど長大なものを政宗は掘り、沃土の果実を江戸に運んだのである。今はむろん運搬にすら使われていない。つまりは無用のものなのだ。
宮城県がこれを観光として宣伝することなく、だまって保存につとめていることは、水や土手のうつくしさでよくわかる。仙台藩の後身らしく、無骨で教養のある風儀が、そのことで察せられるのである。