読書逍遥第185回 『細胞』(上・下)(その4)ジッダールタ・ムカジー著
冨田鋼一郎
有秋小春
話題二つ
「読者と本の幸福な関係」
と
「電子書籍で本を読むか?」
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「読者と本の幸福な関係」
本に呼び寄せられること、本に選ばれること、本の「呼び声」を感知できること。それがたぶん本と読者の間に成立するいちばん幸福で豊かな関係ではないかと私は思う。
本が私を選び、本が私を呼び寄せ、本が私を読める主体へと構築する。
「私が本を読む」という考えは、いささか自己中心的な表現だと思う
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「電子書籍で本を読むか?」
電子書籍の最大のメリットは、いつでもオン・デマンドで、タイムラグなしにアクセスできるということ。
まさにそのメリットゆえに、私たちは電子書籍の選書において先駆的直感を必要としない。
電子書籍はスーパーリアルに「今読みたい本、読む必要がある本」を私たちに届けてくれる。
その代償として電子書籍はその本との宿命的な出会いという「物語」への共感的参加を読者に求めない。
電子書籍は実需要対応の情報入力源である。欲望も、宿命も、自己同一性も、そのようなロマネスクなものに電子書籍は用事がない。けれども、読書はしばしばそちらのほうに用があるのである。
口承が中心であった時代から、書きものに媒体が移ったとき、私たちの脳内で活発に機能していた「長い物語を暗誦する能力」は不要になった。
それと同じように紙の本から電子書籍に媒体が移るとき、書物と出会い、書物を読み進むために、私たちが必要としていた機能の「何か」が失われる。
紙の本はならないと私は思っているが、それはコストやアクセシビリティーや携帯利便性とは全く無関係な次元の、人間の本然的な生きる力の死活にかかわっている