読書逍遥第249回『街道をゆく 中国・びんのみち』(その3) 司馬遼太郎著
『街道をゆく 中国・びんのみち』(その3) 司馬遼太郎著
[表意文字としての漢語・漢文の大きな役割]
紀元前の秦の統一以来、”共通語“として漢文がいかに大きな意味を持ってきたか。
中国は文字の国だという。
この慣用句は、ふつう、中国人の名文句などを褒めるときに使われるが、この場合、もし漢字及び漢文が存在しなかったら、中国は統一されることがなかったろう。
もし、中国の文字がローマ字のような表音文字だとすれば、中国各地は方言ごとに文章語まで分岐し、ヨーロッパ各国と同じように、国々に分かれてしまいかねなかったはずである。
この点、漢字が表意文字であることが、幸いした。文字の音(おん)は、歴史的にも地域的にも違うが、形と意味に変化がなく、”天下”のすみずみまで通用した。
「食」と書けば、紀元前の孔子も、三世紀の関羽将軍も、十五世紀の福建の海賊も、今世紀の黒竜江省の漁民もすべてわかる。こういう時間と空間を超えた記号を持つ文明は他にない。
中国史は、通観して、分裂しているのが常態か、統一されてるのが常態か、と言う設問が十九世紀以来、ヨーロッパの東洋学者のあいだにある。ヨーロッパ語の言語事情と国々の独立経過からみれば、こういう説問はごく自然なものと言っていい。
しかし、中国には漢字と漢文が存在した。だから中国は一つであるという概念が古来ありつづけたと考えていい。
中国統一という、それ以前の春秋戦国の感覚からみれば、奇想天外なことを最初にやったのはいうまでもなく、秦ノ始皇帝である。
この皇帝はローマ人と同様、統一を維持するために軍事道路をつけた。同時に、漢字を統一した。そのころまで、各地で勝手な漢字が存在していたのを、取捨選択したのである。
秦がやった統一帝国は、コロンブスの卵だった。
ひき続く漢は、平然と”統一”した。その後、大陸はしばしば四分五裂したが、やがては統一し、そのことを繰り返した。少なくとも秦以後、統一は異常である、などという政治思想は中国にはない。
中国人は地域によって言語を異にしつつも、一つの文字と一種類の文章語(漢文)を共有してきた。
どの国でも言語は変化し続けてきた。しかし中国では漢文は容易に変化しなかった。そのことによって、漢文は文章である以上に、共通語としての役割を果たしてきた。漢字・漢文こそ、中国統一の基本要素であったことが、これによってもわかるはずである。
また、歴朝の官僚制の基礎である科挙の試験が、古典に則って漢文の作成能力をテストしつづけてきたことも、古文の命脈を保たせるのに役立った。科挙の制は中国文明を停滞させたが、統一を保つ上には効力があったといえる。