読書逍遥第182回 『細胞』(上・下)(その2)ジッダールタ・ムカジー著
冨田鋼一郎
有秋小春
中国福建省をめぐる旅紀行
著者の卓抜な歴史・文化の把握力はここでも健在だ
気宇壮大、読み進めるだけで、気が晴れやかになる
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「西からくる者は目や髪の色が異なっていた。かれらとの交流は長安の詩人たちの詩想を刺激した。『唐詩選』は、一面では東西交流時代の異国情緒(エキゾティズム)の所産ともいえる」
「遣唐使という国家的事業が廃止されたのは、九世紀末である。以後、日本は文化的には鎖国の形になった。同時に、世界でも独自な文化である平安文化が醸成された。その一方において、唐の記憶は、文化として強烈にのこった。
べつの言い方をすると、本場の中国では、唐以後も歴史が続く。政治・社会の変化が爆発するようにして連続し、遠い盛唐の文化の記憶など薄らいで行ったが、海東の日本にあっては、唐の記憶は氷詰めにされてのこった。
唐が滅んでも、日本人は中国のことを「唐」と呼び、人のことを唐人と呼んだ。
詩は唐詩を基本とし、平安期いっぱい、教養人たちは飽きることなく唐詩を読み続けた。
中国人はその後変化したことを考えの主軸に置くと、むしろ中国人より日本人の方が唐の文化的な子孫であると言える。小項目で言えば、唐詩の西域への異国趣味は、日本に残ったのである。(それは北原白秋、木下杢太郎たちの南蛮への憧憬、南蛮趣味につながっていく)
「6、7世紀の日本は、地理的にも離れ、文化的にも遅れていたため、この東西交流の劇には役者として登場できず、詩や文章もしくは正倉院御物のような文物に接することだけにとどまった。
考えようでは、観覧席にいたため、かえって興奮が詩的なものになったといえるかもしれない」