読書逍遥

読書逍遥第233回 『オホーツク街道』(その3) 街道をゆく38 司馬遼太郎著

冨田鋼一郎

『オホーツク街道』(その3) 街道をゆく38 司馬遼太郎著

知床の文化について

鍋の土器の形が先がとんがって、どうして安定ていしないのか、これまでわからなかった

寒い土地に棲んだ狩猟採取民の工夫だったとは驚きだ

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知床半島は、日本の北端地形の威容であり、あわせて古代の様々なことを考えさせてくれる。

仕床オホーツク沿岸の考古学遺跡は賑やかで、斜里町から半島の先端に至るまでのわずか70キロメートルほどの沿岸に、今日わかっているだけで82カ所もの遺跡がある。遺跡銀座のようなものである。

そのほとんどは縄文時代。縄文文化ほど日本固有の文化はない。この固有性とオホーツク文化という外来性が入り混じっているところに、北海道、特にそのオホーツク沿岸の魅力がある。

縄文時代は紀元前300年頃、米が伝来して弥生時代が始まるまでざっと一万年ほど続いた。その前に旧石器時代がある。

縄文の世は、先行する旧石器時代に比べると、依然として石器時代でありながら、土器を用いたという点で、画期的な新文明の時代だった。

周知のことを言うと、土器に網目があり刻されているから縄文という。狩猟採集の文化である。

土器が偉大な文明材だったことは、それが第二の胃袋の役割を果たしたことによる。

土器を使って煮炊きをすることによって、ドングリや固いタンパク質・脂肪など、採取してきたたいていの食料を胃に負担をかけることなく食べることができるようになった。
我々の先祖の食域を広げてくれたという点で、縄文土器はまことにめでたい。

この時の一般的な特徴は、椀立てに良さそうなほどに底が深いことである。だから、煮炊きをする時、横からも熱を受けることができる。

「古代寒い土地は、皆深鍋でした」
佐原眞氏は「日本のルーツ」の座談会の中で、こう述べている。(文芸春秋1992.1)

 「深鍋土器は、涼しく寒い地帯の食料採集民のもので、北ヨーロッパから沿海州、中国北部、朝鮮半島、北アメリカに至るまで分布しているんです。逆に暖かい地帯の土鍋は浅くて、底からだけ熱を受けるんです」

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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