梶原貫五筆油絵「北軽井沢」
冨田鋼一郎
有秋小春
夏日鷄卵鳥の
羮(あつもの)を愛し冬夜
鯉鮒の冷味を賞す
何事も珍しきを
好むハ長安繁華の
人氣なりけらし
新芋に 六月望の 月見かな 晋明
真夏に羹(あつもの)を食べ、真冬に冷たい料理を賞味するのは、尋常ではない。しかし、季節はずれの珍味を何でも賞玩するのはさすがに世界の中心の長安ならではのことだ。我が日本では、仲秋の名月に芋を食べるのがならわしだが、長安の人びとに倣って、時季外れの六月十五日の満月にはとれたての里芋を食べながら、月見をするのもこれはこれで乙なものだ。晋明は几董の別号である。
梅亭の画。胸を大きくはだけた中年男二人が月見の夜、くつろいだ姿勢で、杯を手に、里芋を賞する。最近は、このような横座りをしなくなった。ユーモラスでくったくのない様は、師蕪村の人物画と見まがうばかりだ。落款の書体も師に似ている。
梅亭の画は、松村呉春(月渓)と同様に、蕪村の筆致にとても似ている。
日本は、長い歴史と文化を持つ中国から強く影響を受け続けてきた。もろこし(中国)に畏敬とあこがれを持ちながらも、その反動として、ひのもと(日本)を強く意識した自負心は師蕪村ゆずりだ。
几董(晋明)編『井華集』には、つぎの形で入集。
夏日鳥卵の羹を愛し、冬夜鯉鮒の冷味を賞す。よろづに
珍しきを好むは、長安繁華の人気なりけらし
新芋に 先六月の 月見かな 几董
江戸後期の俳人。別名:晋明。几圭の子で、蕪村に学び、夜半亭三世を継いだ。
江戸後期の俳人・画人。別号:九老。画・俳とも蕪村門。天明8年以後、近江国大津に移住。「近江蕪村」と称される。