正岡子規「もの涼し」句短冊
冨田鋼一郎
有秋小春
かさヽぎや橋からすぐにわたり鳥 八僊主人 印 印
季語:わたり鳥(秋)
かささぎ:スズメ目カラス科の鳥。カラスよりやや小さい。肩羽と腹面とが白色なほかは黒色で、金属光沢がある。北九州に生息し、天然記念物。
かささぎの橋:陰暦の7月7日の夜、牽牛・織女の両星が天の川で逢うとき、かささぎが翼でかけて渡すという想像上の橋。中国の「淮南子」に書かれていて、七夕伝説とともに我国に伝わり、和歌などに多く詠まれた。
かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける
(新古今和歌集 中納言家持)
七夕の日、牽牛と織姫を逢わせるために、かささぎが翼を連ねて天の川に渡した故事がある。枝に留まっているかささぎよ。橋の向う側には越冬の季節になって雁や鴨のたくさんの渡り鳥が来ているよ。おまえはどうして渡り鳥にはならないのか?
百川は花鳥を得意とした。かささぎは生き生きとしている。
江戸時代中期の南画家。服部南郭、祇園南海、柳沢淇園とともに日本南画の祖。また俳人としても活躍した。名は真淵、字が百川、号に蓬洲、僊観、八僊、八仙堂。中国風に彭百川と称した。
百川は八仙堂・八僊などの別号で自画自賛した画軸を多数残した。蕪村は百川を先達として強く意識し、敬慕する。蕪村の丹後時代の「天の橋立図賛」は、有名である。