象潟や雨に西施がねぶの花
冨田鋼一郎
有秋小春
専門課程大学院レベルの教養講座開設に想う。
昨年、藤垣裕子・村上陽一郎『「専門家」とは何か』を興味深く読んだ。今月の新著『リベラルアーツと自然科学』(水声社2023)では、さらに理解を深めるものと期待したい。
日本には原子力、地震、津波など各分野で世界トップクラスの研究があるのに、何故それらが連携して福島原発事故を防ぐことが出来なかったのか。
専門化が進んだ時代にあっては、これまで隣の領域の問題に口出ししないことが美徳としてきたことこそ問題だ、という痛切な反省のもと、東大では大学院専門課程で「後期教養講座」が設けられた。
異分野摩擦を通じて、異なる価値を持つ他者と出会うことで、自らを相対化する訓練をする。異分野の人と言語が通じないのでは話にならない。言語が通じる居心地のいい蛸壺の中だけに安住されていては、この複雑化した社会問題に対処できるわけがない。異分野摩擦、とても大事な取り組みだ。
とするならー人生の後半、後期高齢者にも「教養」は必要だ。
「教養」は、文字通り「他から教えられ、自ら養うこと」だ。人生の悩みは、技術的な処理では一向に解決しない。自らが学びたいことを見つけ、学び続けて、新しい自分作っていくこと、人格を高めていくこと。
与えられた老いの時間、人間的に生を充実させる総まとめとしての「教養」。こんな意識を持ち続けたい。