ドキュメンタリー映画『医師 中村哲の仕事・働くということ』を観た


中村哲(1946-2019) 73歳
福岡県若松出身 炭鉱の町
祖母の教え 弱い者いじめはいかん 職業に貴賎はない
千九百七十九年 ソ連アブガン侵攻 難民
37歳まずパキスタンペシャワールにて活動開始 無医地区ハンセン病多発
ヒンドゥクシュ山脈
1989ソ連アフガン撤退でアフガニスタンへ入る
閉鎖的な地域に診療所建設を模索
障害 人々の信頼を得ること
15年で5ヶ所の無医地区5ヶ所の診療所
仕事を失う人に義足つくりの仕事を
旱魃 水食料不足栄養衛生悪化
村を捨てて都市へ流入 医療以前の社会問題
2001.9.11同時多発テロ
旱魃に加え、空爆戦乱でさらに悪化
農業用水路建設 水路の力きれいな水 予防効果大
大河クナール川沿いに水の取り込む 難しい土木工事 自ら設計図
2003 工事開始 武器をシャベルツルハシに変える
期待を寄せる農民たち集まる日当240円
2019年12月4日強弾に倒れる
アレキサンダー大王の東漸はこの地にまでおよぶ
もっとアフガニスタンの地を知りたい
カブール バーミヤン ジャララバード ヘラート ガズニー カンダハル クンドゥズ カイバル峠
マルワリード(真珠)用水路25キロ
65万人の命を支える緑の小麦畑
家族で穏やかな日々が戻る
一隅を照らす
誰も行かぬから我々が行く
誰もしないから我々かする
人は何のために働くと問うことは徒労である
人は人のために働いて
支え合い
人のために死ぬ
結局はそれ以上でも
それ以下でもない
これは人間の仕事である
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昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実である。
ロバート・ハッチングズ・ゴダード
「ロケットの父」と称されるアメリカ・マサチューセッツ州出身のロケット工学者、発明家
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1984年に医療支援をスタートし、干ばつ対策用の用水路建設、農村復興へと活動を広げた中村哲医師、その歩みは35年に及んだ。中村医師はまず現地の言葉を覚え、現地の人々との対話を通じ、信頼を重ねていく。
「私たちに確手とした援助哲学があるわけではないが唯一譲れぬ一線は「現地の人々の立場に立ち、現地の文化や価値観を尊重し、現地のために働くこと」である」
用水路建設では自ら設計図を引き、重機を運転し、泥にまみれて一緒に作業する。その作業には貧しさゆえにタリバンに参加していた農民も参加していた。
己が何のために生きているかと問うことは徒労である。人は人のために働いて支え合い、人のために死ぬ。
そこに生じる喜怒哀楽に翻弄されながらも、結局はそれ以上でもそれ以下でもない
荒れ果てた大地は蘇り、農作物は実り、65万人の生活を支えている。
親子で収穫し、家族で食事をする風景は眩しい。
中村医師は言う「これは人間の仕事である」

