「半日(はんじつ)の閑(かん)」について

「閑」というのは、いま生きているという意識を持つこと
人は「閑(ひま)」を厭う
閑を退屈と同義とみなし、閑を避けようと、やたらと忙しく動きまわる
昔から「半日の閑」という言葉は受け継がれてゆく
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蘇東坡
江山風月無常主
閑者便是主人
江山ノ風月二ハ常ノ主無ク、
閑ナル者スナハチ是レ主人
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李渉 「題鶴林寺」
終日昏昏酔夢閑
忽聞春尽強登山
因過竹院逢僧話
又得浮生半日閑
終日昏々たり 酔夢の閑
忽ち春尽くると聞き 強ひて山に登る
竹院を過ぎるに因りて 僧に逢って話り
又得たり 浮生半日の閑
題「鶴林寺」(唐・李渉)
蘇東坡は、僧・仏印を訪ねて半日を過ごし、「半日の閑を得たり」と詩を口ずさんだところ、仏印は、「学士は、半日の閑を得たでしょうが、拙僧は半日を忙了した」と言い、二人は大笑いした。
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芭蕉 『嵯峨日記』より
半日は神を友にや年忘れ
独住(ひとりすむ)ほどおもしろきはなし。長嘯(ちょうしょう)隠士の曰く、「客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなふ」と、素堂この言葉を常にあはれぶ。
予も又、
うき我をさびしがらせよかんこどり(閑古鳥)
とは、ある寺に独居して云し句なり。
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長嘯士(ちょうしょうし)
やがてここ(山居の一室)を半日とす。客はその閑かなることを得れば、我はその閑かなることを失ふに似たれど、思ふどちの語らひはいかでむなしからん
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蕪村
半日の閑を榎(えのき)やせみの声
蝉も榎を忘れて半日の閑を得たかのように鳴いている。自分も今日はその鳴き声を聞きつつ、半日の閑を得た。
榎(えのき) 「閑を得」と掛ける
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鉄斎
居山豈為山 只愛此中閑
山二居ルハアニ山ノ為ナランヤ、
タダ此ノ中ノ閑ヲ愛スレバナリ
「忙中二閑アリ」、「閑吟」、、
たぶん「閑」とは東洋ではいちばん大事な哲学的・詩的境地のひとつ
「閑」のなかにいる主人は自分を世間からとりもどして「自分の時間」のなかにいること
その時、いまの己れの実在意識を、「静かに」味わう心でいる。それが「閑」であって、山はそれをくれる、と鉄斎は言っている
こんな実感を少しずつ養って、私はこの小屋での日々にだけは「ふだんと少し違う」自分を見出しはじめた、という

