読書逍遥第677回『司馬遼太郎が発見した日本』(その3)「街道をゆく」を読み解く 松本健一著

『司馬遼太郎が発見した日本』(その3)「街道をゆく」を読み解く 松本健一著
[敗北を認めないアイルランド人の気質]
シカゴでもニューヨークでも3月17日になると聖パトリックデイのお祭りだった
とにかく緑のものを手にしていればいい
何の祝いなのか分からず、パレードを見学した
この日になると、極寒の冬の終わり到来のワクワク感と重なる。シカゴではライラックの花とも結びついている。
☆☆☆
司馬遼太郎はイギリスの古い港町リヴァプール(ビートルズの故郷)から、三十余人乗りの小さな飛行機で、アイルランドのダブリンに飛んだ。飛行機の尾翼には、アイルランドを象徴する緑の三ツ葉のクローバーがえがかれていた。
三ツ葉のクローバーがアイルランドを象徴するようになったのは、聖パトリック(389?~461?)による。パトリックはこの島にキリスト教(カトリック)を伝えた。
司馬は書いている。
「これをごらん」といって、聖パトリックはこの島のひとびとに三ツ葉のクローバーをかざしてみせた、という。
「葉が三つにわかれているように見えるだろう。だけど、よくみると一枚の葉なんだよ」
つまり三位一体なんだよ、といって、このむずかしい教義を説明した。
三位一体とは父(神)と子(イエス)と聖霊は一つのものだ、というもので……。可馬はその「聖霊」の意味がよくわからないと述べつつ、ダブリン市内の三位一体カレッジの前を楽しく、毎日のように歩いた。かれにとって聖パトリックの名は、すでにニューヨークで馴染んでいた。
私の泊っていたホテルは五番街にあり、そのそばにニューヨークで最もふるい聖堂があって、その名が聖パトリック大寺院だった。
聖パトリックの祝日である三月十七日はいまではアイルランド系だけでなく、全市の祝祭日としてにぎわう。
その日は、たれもがクローバーの緑の服、緑の帽子をかぶって行進するのである。緑の服をもっていない者は、スカーフやハンカチだけでも緑であれば、参加のしるしになるらしい。
アイルランドには、「イギリス人はアメリカを支配したが、アイルランド人はアメリカを作った」という自負のことばがある。
クロムウェルの侵略以前から、イギリスに敗けつづけた歴史をもちながら、ついに敗北を認めようとしないアイルランド人。
三百数十万という人口の国ながら、才能、とくに文学においては、とほうもない大国である。
司馬はこのように言挙げしたあと、『ガリヴァー旅行記』のスウィフトをはじめとして、オスカー・ワイルド、詩人のイェイツ、劇作家のシング、そして『ユリシーズ』のジェームス・ジョイス、戯曲の『ゴドーを待ちながら』のサミュエル・ベケットなどを次々に紹介している。
実際、この一世紀だけでも、アイルランドは四人のノーベル文学賞の受賞者を出しているのだ。前掲のイェイツ、ベケット、それにバーナード・ショー、北アイルランド・デリー出身の詩人シェイマス・ヒーニー(1995年受賞)。
以上の文学者に、挫折から立ち上がるためアイルランドの聖地「タラ」の名を口にするスカーレットを主人公とした『風と共に去りぬ』のマーガレット・ミッチェルや、世界を漂泊したあと、ついには日本人になってしまったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)などのアイリッシュを加えてもいい。
司馬はしかし、こういった傑出した文学表現者に注目する一方で、政治的現実においては敗けつづけたアイルランド人の想像力が妖精(フェアリー)を生みだした、とも考えている。
アイルランドには資源はないが、妖精だけはいっぱいいる。
そのため、かれはキラーニィからケンメアに行く峠にあるという、「レプラコーン・クロッシング(靴直しの小人が横断する)」の交通標識を、わざわざ見にゆくのである。

