読書逍遥

読書逍遥第656回『書と文字は面白い』(その11) 石川九楊著

冨田鋼一郎

『書と文字は面白い』(その11) 石川九楊著

「習字」

もう少し上手な字が書けたらとか、悪筆をなんとか直したいという思いを、多かれ少なかれ我々は持ち続けている。

ワープロの普及で、やれやれこれで安心して手紙やリポートが書けると胸をなでおろしている人も多いはずだ。

文字が言葉であるにとどまらず、それ以外の何かを含んでいるという意識の発生をどの時代まで遡ることができるのだろうか、と考えた時に思い出されるのは、紀元一世紀、中国後漢代の木(写真参照)である。木簡とは、紙の無い時代あるいは紙が出来てからも用いられた書写用木片のことだ。

このころの通行書体は字画の終筆に波たく(石辺に傑の旁)と呼ぶはらいを伴っていた(隷書体)。この木簡からは、「大」の文字や「場」の字形、とくに波たくをどのように書くかに苦心して、習字している様子がまざまざと甦ってくる。

これは、文字の規範を学習している姿とは異なっている。言葉としての文字にとっては、はらいの形が太かろうが細かろうが、丸みを帯びようが角ばろうが、方向が横をむこうが斜
上を目指そうが、どちらだってかまいはしない。ところが、この木簡の書き手ははらいの形に
こだわっている。言葉としての文字を誤りなく定着する以上の意識(書意識)に導かれているのだ。

毛筆の穂先が着陸、離陸する際に造形される起筆と終筆。字画にとっては付属物にすぎないその形に目をとどめ、肥大化し、意識的に表出した時、現在に連なる書意識は誕生した。

この木簡はそれを証明して!!

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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