読書逍遥第377回『芭蕉の世界』(第1章) 尾形仂著
冨田鋼一郎
有秋小春

ワードで文字を打ち込む
適宜、フォントの選択をする
標準は明朝体である
「言葉と文字の形象の集合体」
〜文字の本質について
[明朝体]
われわれは一つの文書を二通りに扱うことができる。もちろん言葉として、そして文字形象の集合として。
言葉にとっては文字の形象は存在しないのが望ましいのに、形象なしでは言葉は現出しないという矛盾は、文字の原罪的災厄だ。尼介なことに、文字形象が図形でもあるかのごとくにふるまうことさえある。
夢中で本を読み耽っている時や、新聞記事を熱心に追っているときは、文字形象など気にもとまらない。これはきわめて健康な状態。タイポグラフィ(文字デザイン)が盛んで、宇形に神経質な現在は、言葉と文字にとって不幸な時代なのかもしれない。文字はいつも自己否定的にひっそりと存在したがっているのに。
言葉の存在感だけを残し、形象的存在感を限りなく削ぎ落とした形状が、おそらく理想的な文字形象だろう。その理想は現在、明朝体に仮託されている。
明朝体は形象上、いくつかの目立つ特徴をもっている。いくつかの鮮明な形象的特徴を備えることによって、ふだん、形が気にもとまらないという逆説は興味深い。
明朝体の抽象的幾何的図形性は、現代語の抽象性の肉化。水平・垂直の造形原理は世界の造形原理でもある。縦横画の肥瘦(ひそう)差!太い縦画は世界の重力を受けとめて成立する言葉の喩形象(ゆけいしょう)。
セリフ(起筆・終筆の形状、別名うろこ)の残存は、言葉がアクセントや強弱をもち、のっぺりした線や図形のようには存在していないことを証す。
明朝体は、現在も未来も印刷字体の中心に位置する選ばれた書体だ。
