読書逍遥第352回『わたしの唐詩選』(その3) 中野孝次著
冨田鋼一郎
有秋小春
フィレンツェ最後に登場する「万能の人」
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」について
(ミケランジェロとの違い)
ミケランジェロ 創造した量
ダ・ヴィンチ 思索を巡らせた分野多彩さ
☆☆☆
バートランド・ラッセル
「西方の知恵」より抜粋
哲学(フィロソフィー)は、科学(サイエンス)と同じく、誰かがごく一般的な疑問を抱いたときに始まる。この種の好奇心を、最初に民族的な規模で持ったのがギリシャ人だった。
現代の我々が知っている哲学と科学は、古代のギリシア人の創造である。ギリシャ文明とは、この「知的な運動の爆発」であり、これほども華々しいイベントは歴史上に存在しない。
それ以前にもそれ以後にも、このギリシャと比肩しうる知の爆発は起こらなかった。2世紀と言う短い期間に、ギリシャ人は芸術、文学、科学、哲学の各分野にわたって、すざまじい量の傑作を創り出したのである。
そしてこれらが、その後の西方文明の基礎と体系を形づくることになった。
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ラッセルのこの一文は、レオナルドダ・ヴィンチを語る場合にも使える。レオナルドくらい、「なぜ」で生き通した人もいなかった。
私(著者)の空想するレオナルドは、「ぺルケ、ペルケ、ペルケ」と一人つぶやきながら部屋の中を行ったり来たりしている姿です。「perche」とはイタリア語で、「なぜ」の意味。
☆☆☆
レオナルドを駆動させたのは、すべて「なぜ」
「なぜ」が解消されれば、作品が完成しようが、しまいが無頓着