読書逍遥

読書逍遥第485回『ルネサンスとは何であったのか』(その6) 塩野七生著

冨田鋼一郎

『ルネサンスとは何であったのか』(その6) 塩野七生著

大事な指摘を見つけた!
心に刻んでおきたい

私は話すとか書くという表現行為(アウトプット)を、他者への伝達手段として捉えていたが、それだけにとどまらない

《表現とは、自分自身の考えを明快にするための手段である》

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[ルネサンスの本質]

見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発が、後世の人々によってルネサンスと名付けられることになる精神運動の本質です。

創造するという行為が、理解の「本道(ストラーダ・マエストラ)」です。

ダンテも言っています。頭の中で考えるだけでは不十分で、それを口であろうとペンであろうと画質であろうとノミであろうと、”表現”してはじめて「シェンツァ」になる、と。

イタリア語の「シェンツァ」は、英語に直すと、「サイエンス(science)ですが、この場合は「科学」とか「学問」よりも「知識」ないし、「理解」と考える方が適切でしょう。

ダンテの言が正しい事は、あなたが今考えていることを、誰か他者に話すか、それとも文章に書いてみたらわかります。

頭の中で考えていたことが「表現」という経路を得ることによって、”より明快になる”という事実が。

話すとか書くことが、他者への伝達の手段であるとするのは正しいが、それとても手段のひとつに過ぎません。自分自身の考えを明快にするにも実に有効な手段でもあるのですよ。

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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