読書逍遥

読書逍遥第476回『こころの処方箋』河合隼雄著

冨田鋼一郎

『こころの処方箋』河合隼雄著

55章の短文からなる。最後に谷川俊太郎の解説文がつく。

気軽に読めるが、中身はどうしてどうして

著者の器の大きさを考えさせられる

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「マジメも休み休み言え」

日本人が、ユーモア感覚に欠けると批判されることと、日本人が休みを取りたがらないということは深く関連している

アメリカの例
《ウォーター・ゲート事件の国会での証人喚問の際の実況中継》

盗聴をしていた人間(証人)に対して、電話の受話器がその場に持ち込まれ、実際にどのようにしていたかをやれ、と命令される。

証人はやおら立って、受話器のところに行き、実演する前に、真剣な顔をして議員たちに向かって、「これは盗聴されていないのでしょうね」とやって、一同の笑いを誘った。

日本の国会でこれをやったらどんなことになるだろう。「冗談も休み休み言え」どころか、全国民から激しい非難を浴びることになるだろう。「マジメにやれ」の大合唱になる。

アメリカでは激しく相手を攻撃する代わりに、相手の言い分も十分に聞こうとする態度がある。それに対して、日本的マジメは、マジメな側が正しいと決まりきっていて、悪い方はただ謝るしかない。

マジメな人は住んでる世界を狭く限定して、そのなかでマジメにやってるので、相手の世界にまで心を開いて対話してゆく余裕がないのである。

欧米人の場合は、自分がどんなに正しいと信じていても、相手の言い分を十分に聞かねばならないという態度がある。

ぶつかりは烈しくなるが、相手に対して心をひらくだけの余裕があり、余裕のなかからユーモアが生まれてくるのだ。

マジメな人は自分の限定した世界のなかでは、絶対にマジメなので、確かにそれ以上のことを考える必要もないし、反省する必要もない。

マジメな人の無反省さは、鈍感や傲慢さにさえ通じるところがある。

自分の限定してる世界を開いて他と通じること、自分の思いがけない世界が存在するのを認めること、これが怖くて仕方がないので、笑いのない世界に閉じこもる。

笑いというものは、常に「開く」ことに通じるものである

「マジメも休み休み言え」というときの「休み」が大切なのである。

休んでいる間に、人間は何か他のことを考える。休みと言う余裕が、一本筋の自分の生き方以外に多くの他の筋があることを見せてくれるのである。

「マジメ人間」の日本人が、休みなしにマジメにやるので、国際社会では嫌われ者になりがちだ。

日本人もこんな点を反省して、この頃ではだいぶ休みを取るようになった。ただ心配なのは「マジメに休みを取れ」などということになって、せっかくの休日を「有意義」に過ごそうなると考えすぎ、休日は増えたがマジメさは変わらない、などということになりそうに思える。

ともかく、マジメは休み休みにしていただきたい。

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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